広島カープ、釣り、バイク、サンフレッチェ広島、広島県高校野球、日々の気になる事を書いています♪
 さあ、切岸を登りましょう!大体13Mくらいあるそうです。よく削りましたね。


登りながら下の馬のダバを見るとこんな感じ⇩



そして見えて来ました。



階段の終わり近くに案内板がありました。



もう本丸なんですね。1番広い曲輪(郭とも書きます)だそうで。



確かに広い・・・四角い箱が見えます。



仮称ではなく通称♪



井戸跡でした。中を覗いてみましょう♪



ありゃ、底にピントが合ってない・・・ほぼ埋まってるんでこの柵いるんかな?ここ


で眺望が開けたので駐車場方向の写真を撮ってみる。




ここからだとズームすれば僕のバイクが写せます♪




東広島市中心部方向⇩



さて、もう1つの井戸跡を見ましょうか。



この井戸跡は柵はありませんがさっきのよりは井戸跡って感じがします。しかし山頂


部に井戸となるとかなり深く掘ったんじゃないかと思いますねぇ。しかも人力だし大


変じゃろうと・・・。


井戸の向こうには・・・



またもや鏡山城の案内板が!その後ろは石垣っぽい1段高い場所すね。

                         つづく
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 土橋を渡ると何やら看板が・・・



ズーム!



ダバって初めて聞きましたが曲輪の事をいっているのでしょう、たぶ
ん。看板の通り


に進みます。道が二手に分かれてましたが看板が見る方にフラフラと・・・



少し下ってます。



出ました!仮称(笑)。



細長い曲輪ですがそんなに大きくはありません。大人が10人いれば狭いと思います


がここが大手門らしいです。ちなみにこちら側は南向きです。



大手門があったという事は南側が城の正面という事でしょうか?ちなみに南側は現在


広島大?の農場になってました。ここから大手門に上がって来る道を写します。



ここから少し戻って3郭と呼ばれる場所に行きます。



ムムッ!この2つの石は戦国時代もあったんでしょうか?道の両側にあります。2つ


の石の間を抜けると広い曲輪が出現!



東西に長いです。看板の位置まで移動!



馬のダバ・・・馬の駄馬みたい(笑)。



竪堀がある!最初の竪堀より分かりやすいかな・・南側の畝状竪堀群を発見!



竪堀が畝状になっているのが分かりますかねぇ~


近寄ってみます。



確かに竪堀じゃ!500年以上経つとこんな感じになってますが本当はもっと深く幅


も到底飛び越せない4~5M幅だったはずです。竪堀薬研堀(底をV字型に掘削して


いるもので掘削が容易で防御効率も良い)になっていたのかも?こんな竪堀が畝状に


なって存在しているのを見て攻城側では竪堀をどう攻略するか、防御側では竪堀を利


用してどう守るかを自分がその時代にいたらどうするかを想像するだけで楽しい♪こ


の馬のダバの上が・・・



凄い切岸ですねぇ~・・・この上に登ってみますか。



この階段を上がります。                


つづく

 仮称東出丸を後にしてまたもや登っていきます。


すると何やら看板があります。



竪堀と書いてあります。竪堀とは・・・空堀の1つで山の等高線に対して直角に掘ら


れた空堀の事です。空堀とは水の無い堀の事です。山城は空堀がほとんどです。竪堀


の役目は敵が山腹を横移動するのを防ぐ事です。


ここから竪堀の写真を写しましたが・・・



写真では分かりにくいですねぇ・・・(-_-;)


仕方ないので登りますか。すぐに他の道(Bコースか?)と合流しますがその道に石垣


か何かの跡か??分かりません(笑)。




少し進むと進路上に出ました!堀切



堀切と書いてありますが・・・


肉眼ではハッキリと分かるのに写真では・・・


堀切とは・・・山の尾根を横に断ち切る堀の事です。尾根伝いに攻め上って来る敵の


足を止めます。


そして進路上に堀切があれば通れません。しかしこれがあるので通れます。


土橋(どばし)


その名の通り、土の橋です。攻城側から見ると堀に橋があるので堀底に降りなくても


良い事になります。取り外しが出来ないため通り抜けられ攻撃がスムーズに出来ま


す。逆に守備側から見るとこの橋を通る事が分かっているのでここに攻撃を集中、例


えば銃や矢を集中すれば攻城側に甚大な被害が出る事になります。さあ、ここから見


どころが一杯出て来ますよ♪                 


つづく

 11月26日、福山へ日帰りしたんですがR486の三原IC入口交

差点で信号待ちの時に僕の前を走っていた車が高速に乗るために右折

レーンに入りました。信号は赤ですが停まりません。少しずつ動いて

います。



写真でも分かるように前から対向車は来ていません。何をそんなに急

いでいるのか・・・そんなに急ぐのならもっと早く家出ろよって思い

ながら僕は左折するのでした(笑)。
さて、攻略します。



毛利元就の看板の下辺りに鏡山城の説明版が・・・


少し歩いたところに・・・



縄張図だけアップ!



鏡山公園ルートから上がります。


さて、本当に上がりましょう。



池の横の道路を行きます。あの山の頂上が本丸です♪


公園内を歩く事3分、すぐに登り坂になります。しばらく登ると・・



看板は・・・



鏡山城の説明版ですね。



ここで2通りのルートに分かれてますがAルートで行く事に。けっこう、急だ・・・


階段を登り切ると何か看板が・・・




仮称?東出丸・・・正式な名前は付いてないのか・・・


しかしもう出丸に遭遇するとは・・・確かに平面ではある。ここはかなり低いんで北


側から敵が来たら真っ先に攻められたかもしれませんね。またもや登りになりますが


つづく(笑)。
11月25日、4連休の3日目。


東広島市にある鏡山城址に行って来ました。実は昨日24日に行こうとしたんですが


途中、雨が降り出して自宅に引き返してます。


9時30分頃に出発。K34から途中K388~K331~K67~K195到着で


す。




そう、ここは広島大学が隣にあるんですね。城址は鏡山公園内にあります。




これから攻め上がる鏡山城が目の前に!


国指定史跡ですよ♪


この辺りもかなり紅葉が進んでいました。




少しだけ休憩して(コーヒー休憩)早速攻め上りますか・・・


と、その前に鏡山城とは・・・からですね。


ここは安芸西条と呼ばれていて安芸支配を目論む周防の大名、大内氏が築城し安芸支


配の拠点とした城です。応仁の乱の頃には安芸武田氏沼田小早川氏などの攻撃を受


けています。攻撃を度々受けるという事は重要な地点に築かれた城という事が分かり


ます。そして大内氏の当主が義興の時代に山陰の雄、尼子氏の勢力が増大し南に侵攻


して来ます。そして1523年6月13日に尼子経久(つねひさ)率いる尼子軍と傘


下の安芸国人衆が攻めて来ました。この頃の安芸国人は大内か尼子かどちらかの傘下


に入らないとたちまちに滅びてしまう微妙な位置にいました。この時、毛利元就は


子方としてまだ幼少の当主松丸(兄の興元の長男の後見人としてこの戦いに参戦


していました。大内方の城主蔵田房信はよく戦い城に尼子軍を寄せ付けませんでした


がここで毛利元就は調略を使い二の丸を守備していた房信の叔父であるを蔵田家


の当主にするという約束をし裏切らせ一気に攻撃をかけ城主房信は本丸で防戦します


が遂に妻子、城兵の助命を条件に自害します。28日落城。その後、尼子経久は裏切


った直信を許さず処刑してしまいます。本来戦功1番のはずの元就は何の恩賞もない


けではなく面目をも失い尼子に対する不信感を抱き、また尼子経久も元就の智勇を


警戒する事になります。これは本当かどうかは分かりませんが毛利家当主の幸松丸


(まだ子供)も首実検(討ち取った首を披露する)に参加し、あまりの惨たらしさに


卒倒してそれが原因で亡くなったといわれています。


と、いう事でようやく攻城します。入口には・・・





毛利元就関連遺跡になってますねぇ~。


さあ、行きますか!ってつづきます(笑)。

 もうかれこれ1ヶ月弱くらいでしょうか、リビングのライトがス

イッチ付けてもなかなか点灯せず20分くらい経ってから点灯すると

いった現象になってました。まだLEDではなく蛍光灯です。最近は朝

起きても暗いんで困ってました。時間が経てば点灯するのでもしかし

たらスイッチ側に問題が?って思って交換しようかどうしようか迷い

ましたが先週、遂に決断し交換する事に。んで、換えるならもう時流

に乗ってLEDを買おうという事であらかじめネットで見て買うもの決

めて行きました。エディオンで4万円のシーリングライトを購入。





決めていたものではありませんでした。付け方は簡単という事でした

が元々付いていたライトがボルト固定していたので交換する時難しい

のでは?って思ってました。実際外す時ドライバーで4ヶ所ネジを外

しましたので面倒でした(笑)。それで新しいのに交換。実に簡単で

した。そして点灯♪





すぐに点いたんで元のスイッチが壊れているので

はなくやはり元々のライトが悪かったという結論に。この新しいのは

エコナビというの機能があり周囲の明るさを感知して明るさ調整をし

てくれ時間指定をすれば色が変わる機能が付いてます。





タイマーもあり家にいなくても誰かがいると思わせることも出来ま

す。前の蛍光灯に比べるとやはり雲泥の差です。明るいです♪交換し

て良かったです♪

しかし我が家は11月ってよく家電を買ってます。去年は冷蔵庫だ

し。寿命の家電がこれからも増えて来るのかなぁ・・・
 11月19日、みほりんの学校の参観日に参加した後、映画(こい

のわ)に行った際に広島駅から段原まで歩きました。その道中、マジ

マジと猿猴橋を見ました。



欄干に猿猴が何かを取り合い?してまいるデザインになってますね。

ホントは河童の事なんですがね。

戦時中にあった水道管の説明版がありました。⇩





大東亜戦争末期に金属供出がありこの橋の象徴である鷲が無くなりま

したが近年復活してます。




被爆した時の橋の材料もありました。




今はベンチになってますがれっきとした被爆石です。




そうそう、近くに水上タクシーの乗り場がありましたが船長?さんが

暇そうにしてましたね。⇩




猿猴橋でした。
丸佳浩2017タイトル等

タイトル

最多安打



表彰

MVP

ベストナイン

ゴールデングラブ

セ・パ交流戦優秀選手

月間MVP(6月)




おめでとう♪


まだありましたっけ?
さて、最後です。


杉の大方の墓から南側方向に見える山が元就が幼少期を過ごした猿掛城がありますの


で行ってみる事にしました。




後ろを向くと杉の大方の墓方面です。




看板を見てみましょう。






元就の父、弘元が隠居し郡山城から猿掛城に移った時、二男の元就も同じくして移り


ました。以後、弘元が死去した後、元就は家臣の井上氏に猿掛城を横領され城を追い


出されています。それで乞食若殿とも呼ばれた不遇の時代を過ごした事がありまし


た。その後、杉の大方に養育され所領も戻り兄である当主興元に許可を得て元服しこ


こで初めて元就と名乗ります。そして正式に猿掛城主となり分家を立てる事になりま


す。



今回は攻め上りませんでした。時間がなかったので。この城はよく保存されていてい


るらしいので是非とも攻めたいですね。



とりあえずこれで山城ツーリングは終わりです♪